三大秘宝について「本尊 戒壇 題目」
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が、そうではないんだ。「然善男子。我実成仏已来。無量無辺。百千万億。那由佗劫。」と、これが顕本、顕遠の経文です。無始久遠の過去に既に悟りを得ているんだ、と明かす段です。更に『寿量品』には「名字不同。年紀大小」と   で登場なさるのです。だから名字は不同です。み説かれています。時間に拘束されない、空間を超越した、無始久遠の過去に悟りを開いた、永遠の寿命を持つ仏が、三千年の昔に迹仏として、印度には釈迦牟尼仏というお名前、お姿で応現され、三十成道、八十入滅という姿をお示しになられた。東方浄瑠璃世界には薬師如来というお名前、お姿、西方極楽浄土には阿弥陀如来というお名前、お姿な違うでのす。「年紀大小」とは寿命ですね。印度の釈迦仏は八十歳で入滅です。阿弥陀如来や薬師如来がおいくつで入滅されたか、それはわかりませんけれども、寿命もそれぞれ違いますよ。ということですね。本仏は常住であります。ですから、時間に拘束されません。更に、空間を超越致します。永遠不滅の生命を持つ仏様です。ですから解りやすく言えば「何時でも、何処でも、救って下さる」これが久遠の本仏。如来寿量品の仏です。一方、迹仏は、限られた場所で、限られた時間での教化、つまりは、その教化に限界がある、限度がある、ということがいえると思います。先ほど申しました分身仏、つまり迹仏ですが、こちらは、悟った始めがある。だから本覚仏に対して始覚仏といいます。印度応現のお釈迦さまも、27

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