三大秘宝について「本尊 戒壇 題目」
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ね。「信じて理解」する。もっと言えば「信じたならば理解」できるということです。『方便品』は「智慧の法門」と言ったりしますが、再往考えれば「信の法門」なんです。世間的な感覚からすれば「理解したから、信じ 法華経では許されない世界なんです。先ず「信」ることが出来る」となるのでしょうが、それは、が先に立たなければダメなんです。法華経の第四番目は『信解品』でしょ。解が先にあれば『解信品』となるはずでしょう。「一念信解」というじゃないですか。『四信五品抄』にありますね。「一念信解の四字の中の信の一字は四信の初に居し、解の一字は後の奪わるる」「信」が先に起たなければならないんです。確か、「起信立行」という言葉もあったでしょう。行をすれば信が起こるんじゃない、先ず信を起てなければならないんです。信が我々のエネルギーの源でなければならない。『諸法実相抄』にもありますね。「行学は信心より起こるべく候」「行学すれば、信心が起こる」とは仰ってないですね。信心があれば、行も学も起こる、というご教示です。逆の言い方をすれば、行学しようとしない人は、信心のない人だ、ということです。29

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