三大秘宝について「本尊 戒壇 題目」
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空間論に対して、時間論とでも言えますでしょうか。 「本有尊形」これは日蓮大聖人が「妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる。」と仰いましたが、この光明を顕わすのが、あの独特なお題目の書き方なのですね。光明点と申します。中には「髭題目」なんて仰る方がおいでになりますが、お止めになったほうがイイでしょう。この光明点が、寿量品で開顕、顕本された本仏の慈悲の光、智慧の光、慈悲の世界、救いの世界等を顕わしています。さて「本有の尊形となる」のは、一体誰でしょう?照らすのは本尊であり、照らされるのは私達ですね。本尊の光明に照らされた私達が、本有の尊形となるのですね。そこに『観心本尊抄』の「所化以同体」という世界が存在するのですね。本尊とは、これは私達の礼拝の対象であります。「本尊は、拝んで頼まず」というような言葉を聞いたことがありますが、全くその通りで、礼拝の対象であって、個々の願望成就を願う対象ではありません。その本尊に吸収されて、所化以同体の姿となった時には、我々も本有の姿になるんだということです。ただ、注意して頂きたいのは「だから私も本尊だ」と言ってしまったら、これは全く別問題であります。そこは注意して頂きたいと思います。この本尊の原理と言いましょうか、本質と言いましょうか、これは「一念三千の仏種」です。この仏種があればこそ、私達は成仏が可能なんですね。仏種につきましては『化城喩品』で明かされ、これ迹門の三益論ですね。そして、本門に至り、 36

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