三大秘宝について「本尊 戒壇 題目」
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本門三益論が展開していきますね。さて仏種、例えば、精子の宿らない無精卵を温めたところで、ヒナがかえることは有りません。精子が宿る卵であればこそ、ヒナがかえります。当然のことです。仏種の宿らない本尊は、全く頼りにならない、不完全な本尊なのです。時間がありませんから詳細申し上げられませんが「釈尊の色心因果」「釈尊の血肉」とでもいえると思います。誤解を恐れずに、さらに突っ込んだ、別のリアルな言い方をすれば、仏種とは仏の種でありますから「釈尊の精子」と言っても良いかも知れません。で形式と申しましょうか、形態でありますが、古来より二種類あります。仏像として表す形式、代表的な形式は一尊四士、釈尊と四菩薩ですね。そして一塔両尊四士、釈迦多寶の二仏と、中央の寶塔そして四菩薩ですね。これらが仏像としてお祀りする代表ではないでしょうか。で、これを「教門の本尊」といいます。礼拝の対象、つまり主体ですね、それと礼拝する側、つまり我々ですが、これ客体ですね、語弊があるかも知れませんが、主客別体として表現しているわけです。もうひとつが、紙に書した大曼荼羅ですね。こ  て同体」の姿を顕わしているわけです。「じゃぁ、ちらを「観門の本尊」といいます。先ほどの「教門の本尊」は、主客別体と申し上げましたが、こちらは、主客同体の姿、つまりは我々が、本仏の救済の世界、教化の世界に吸収された「所化以っ仏像本尊だけでは、所化以て同体の姿は顕わせないのか?」と指摘される方がおられるかも解りませんが、もちろんそうでは無いと思います。仏像37

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