三大秘宝について「本尊 戒壇 題目」
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本尊を礼拝して、瞻仰尊顔して渇仰の心を懐けば、そこに「所化以って同体」の姿は実現すると思います。ところで「御本尊は大曼荼羅であり、仏像は御本尊ではない」という方が、もしかしたらおいでになるかもわかりません。日蓮正宗では確かにそうですね。彼等は仏像は一切認めないという立場です。ちなみに、この仏像につきまして少し調べてみ    ました。日蓮大聖人は恐らく造像を否定されていないのではないかな、と思うんですね。といいますのも『本尊抄』に「末法に来入して、始めてこの仏像出現せしむべきか。」とあります。はっきりと「仏像」と明言されていますね。以前に日蓮正宗の僧侶と話す機会に恵まれまして、これはいい機会だと思って、ここのところを尋ねてみたんです。「正宗の方々は仏像を否定なさるけれども、『観心本尊抄』に仏像とあるじゃないですか?」と申上げましたら「だからあなた達は駄目なんですよ。」と言われました。「この仏像というのは、大曼荼羅を指すのであって、この仏像、所謂彫刻した仏像を指すのではないんだ」ということを仰っていました。けれども、ちょっと無理があるのではないかなと思うんですね。確かにこの「仏像」の言葉をもって、彫刻した仏像なんだ。としてしまうのは、早急で危険かもしれません。大聖人は大曼荼羅を指して「仏像」と表現なされたのかも解りません。しかしながら、他にも彫刻した仏像を容認するご遺文としては『神38

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