三大秘宝について「本尊 戒壇 題目」
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戒壇につきまして『宗義大綱読本』とか、他の辞書の類を読みましても「日蓮大聖人が、滅後の私達に成就するように期待しているものだ」というような表現、解説が殆どです。例えば『宗義大綱読本』の解説では「四海帰妙の暁に建立されるべき自相荘厳の事の戒壇は、我等宗徒の願業であって、末法一同の強盛の行業よって実現しなければならない」とありますよ。これを読みますとね、日蓮大聖人がご在世当時   発心の弟子といいまして、久遠の釈尊が始めの無に、本門戒壇の建立は叶わなかったのかという事になりませんか。日蓮大聖人の位置づけは、先ほども言いましたが、本化上行菩薩です。これは初い初め、無始久遠から手塩にかけて育てあげた最高の弟子です。『本尊抄』には「高貴の大菩薩」とありますよ。確か『開目抄』だったと思いますが、迹化の菩薩を猿、本化の菩薩を帝釋に譬えて、迹化と本化の格の違いを仰ってますよ。そして、その菩薩は、本化上行菩薩は、法華経の『神力品』の舞台で付嘱を受けます。『涌出品』登場した六万恒河沙の数に過ぎたる菩薩の中でも、筆頭の弟子であります。この上行菩薩ですら実現できなかったものを末法の凡僧が、それこそ百人、千人、万人集まって、果たして実現出来るのかどうか。私は当然無理だと思いますよ。どうですか皆さん、難しく考えなくとも、素朴な疑問として、そんなこと考えたことありませんか?仮にですよ、日蓮大聖人は、三大秘法のうち本門の戒壇は実現できなかったとしましょう。そうしたならば「じゃぁ日蓮大聖人は、三大秘法のう41

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