三大秘宝について「本尊 戒壇 題目」
48/68

抄』『本尊抄』を双璧に、五大部を中心に拠るべきです。偽書は論外、疑偽書にもよるべきではないでしょう。そうしませんと、無法地帯、何でもありになってしまいます。舞台を整え、統一ルールで論じる、ということです。簡単に言えば、サッカーのルールで、バスケットはできないということです。ところで、戒壇という言葉は「戒」と「壇」に分けられますね。更に「戒」を二つに分ければ「一般通途の戒」と「本化別頭の戒」に分けられます。通途の戒は、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧という六度、そして戒定慧の三学ですね。これは、防非止悪とでも言えるでしょう。つまりは、倫理道徳の範疇になってくると思います。本化別頭の戒は、本門の妙戒。これは当然題目受持ということになります。で、このお題目を自身が受持するだけに止まらずに、下種という衆生教化、化他行に出向く。「南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めん」ということです。恐らくこれは、みなさん異論のないことだと思います。大聖人已前の仏法で、お題目を化他行として、   行ずる人は無かったんです。「南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめたる人一人もなし。」とありますね。これは『撰時抄』でしたでしょうか。受持とは、受け持つということでありますが、「受け持たしめる」他者への働きかけと読めば、或は、理解すれば、化他行の意味合いになってきますね。ここが肝心なところだと思います。46

元のページ  ../index.html#48

このブックを見る