三大秘宝について「本尊 戒壇 題目」
50/68

する場所、お題目を唱える当所、衆生教化の場所が戒壇ということになります。だから、言い切ってしまえば、建造物が必要不可欠ではないんです。必須条件ではないんです。至上命題ではないんですよ。 「法華経修行の肝心は、不軽品にて候」「不軽の跡を紹継す」と日蓮大聖人は仰いましたね。不軽菩薩は如何なる行をなさいましたか。礼拝行、但行礼拝ですね。但行礼拝の「但」は単純の「単」じゃありませんからね。「但」とは「ただひたすらに」という意味ですよ。不軽菩薩は、目の前にいる人のみに、礼拝行をしたのではなく「乃至遠見四衆。亦復故往」と経文にあります。遠くに人を見ては、そこに出向いて「我深敬汝等……」と二十四文字を唱え、礼拝行をなさった、上慢の四衆に授記せられたんですね。この不軽品について、宮沢賢治は「雨にも負けず」と詩に詠みましたが「東に病気の子供あれば行って看病してやり、西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い、南に死にそうな人あれば、行ってこわがらなくてもいいといい、北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろといい」とありますね。ここに「行って……」とありますよ。この「出向く、往く、行って」ということが大切なんです。肝心なところです。お堂に呼んできて、招き入れて記別を授けたんじゃないんです。本より末代の衆生は、良医に差し出された薬を「而謂不美」良からず、不味い。と言って「而不肯服」、服さなかったわけですよ。  48

元のページ  ../index.html#50

このブックを見る