三大秘宝について「本尊 戒壇 題目」
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拒絶したんですよ。そんな人が「はいそうですか、戒を授かりましょう」と言って、素直にお堂には来ませんよ。不軽菩薩が記別を授けた時も、上慢の四衆は「この無智の比丘、何れのところより来れる」と罵り「汝が虚妄の授記を用いず」と拒否しました。そんな人が、末法には、大勢いるんですよ。ですから、「末法には一乗の強敵充満すべし、不軽菩薩の利益此なり。各々我弟子等はげませ給へはげませ給へ。」とあるんですね。 『寺泊御書』には「過去の不軽品は今の勧持品。今の勧持品は過去の不軽品なり。今の勧持品は未来、不軽品たるべし。その時は日蓮はすなわち不軽菩薩たるべし。」とありますよ。また『顕仏未来記』でしたか「不軽菩薩の唱えし二十四文字と、日蓮が唱える南無妙法蓮華経のお題目は、その語異なりといえども、意は同じだ」とあります。不軽菩薩は「常作是語」或は「常作是言」、常に、この二十四文字を唱え「不専読誦経典」経典読誦を先とせず、専らとせず「但行礼拝」をなさいました。日蓮大聖人は、この不軽菩薩の行法に倣われたんですよ。これを行の規範とせられたんですよ。ですから草庵に籠って、お堂に籠って布教活動をせられずに、鎌倉の辻々に立たれて、そして国主諌暁という行動に出られたんですよ。「南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめ」られたんです。日蓮大聖人のことを「末法唱導師」と敬称をつけますね。この「唱導師」という語は『涌出品』に「唱導之首」「唱導之師」と出てくるのがそれです。不軽菩薩は経典読誦を専らとせず、二十四文字を唱え礼拝行をなさった。日蓮大聖人は、お題目、南無妙 49

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