三大秘宝について「本尊 戒壇 題目」
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迹論」が舞台であります。「三益論」と「本迹論」舞台が違いますからね。これを混同して、分別せずして一つの舞台で論じますと、論点が定まりません、整理がつきませんのでご注意ください。釈迦脱仏に対する言葉であれば、日蓮本仏では   仏」なんだ、との解釈であれば間違いではありまなく、日蓮下種菩薩ですね。まっそんな表現をする方はおられませんが、日蓮大聖人は下種の導師でありますから、敢えて言えば「下種菩薩」となるでしょう。また「釈迦脱仏」の「脱」を「脱ぐ」或いは「脱皮」「脱殻」等と解釈すれば、それは当然間違いでありますが、解脱益を与えたから「脱せん。在世の衆生に一品二半を説くことによって「解脱益」を与えた仏ですから「釈迦脱仏」なんですよ。まっこの言葉と言いましょうか、表現も先の「日蓮下種菩薩」と同様で、積極的に用いない方がよろしいでしょうね。変な誤解を生むかも知れませんし、余計な説明が必要になってくるでしょう。この五つの相対をもって、取勝捨劣、勝れているものを取って、劣っているものを捨てる。或いは、従浅至深。浅い教え従り、深い教えに至ることによって、めでたくお題目が導き出されるわけです。言わば比較宗教学とでも言えるのではないでしょうか。さて『本尊抄』では、「一代三段」、「十巻三段」或いは「一経三段」とも言います。「二門六段」この二門というのは本門と迹門です。「迹門三段」54

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