三大秘宝について「本尊 戒壇 題目」
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生は、つまり私達のことですけれども、私達がいくら法華経を読誦しても、成仏は叶わない、ということなのです。成仏を決定づけるのは、題目受持です。これより他はありません。じゃぁ読経は意味がないのか?と仰る方がおられますが、そうではありません。「唱題正行、読誦助行」と言いますね。読誦により、お題目とは一体何か、なぜお題目でなければならないか、なぜ私達がお題目を唱えなければならないかが解るんです。誠に陳腐な喩ですが、私達が薬を服します時に、必ず服用に関しての注意書きを読みますね。それに従って薬を飲みます。或は、処方箋を読んで薬の成分を知ります。果たしてこれを読むことによって、病から解放されるのか?ということですよ。解放されないでしょ。病から解放される為には、薬を服さなければなりませんよ。ですから、注意書きが法華経、唱題が服薬と考えて頂ければ、解りやすいかと思います。ところで、私達はなぜ薬を飲むのでしょうか?  なんです。この認識がない人に、あなたは、病に当然、自分が「病に冒されている」という認識があるからですよね。病に冒されているという認識がなかったら、誰も薬を飲みません。これは、当然のことです。ですから、お題目を唱える前に、まず自分は病に冒されている、という認識が必要冒されているから、この薬、つまりお題目ですが、これを飲みなさい、受持しなさい。と勧めるんですよ。病気だという認識がない人にとったら、不快極まりないことですよ。だから、法難、迫害と61

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